ゼロツク

最終的にゼロから人の役に立つ物を作りたいなぁ

自分にコントロール出来ない事象に徹底的に打ちのめされつつ、目的達成のために頑張り抜く

小学2年生からボーイスカウトで野外活動をするとき、色んな自然環境にさらされた。小さなことから少しずつ大きな長い障害に立ち向かうように。

・マッチ1箱使っても火が薪につかないで呆然とする小4の夏。ようやく付いても強風が突然吹いて消える
・本当の森の中で下草刈とトイレ作りから始めるキャンプ
・自衛隊が使うような布のテントで寝ていると、夜に豪雨が振り、夜中に1時間テントの周りに側溝を掘っていたとき
・小学6年生で徹夜で歩く56kmオーバーナイトハイクに参加し、後半の記憶がないとき
・初めての単独縦走でまだ明け方の暗闇の中、道に迷った時に精神状態の回復したとき
・1日最高12時間歩いた北アルプス単独縦走6日間

なぜか日常を生活していると、他人から見た自分を意識したり、無駄にイライラしたり、根性が衰えたりする。そんなとき、上記のようなキャンプや登山を通して、自分自身と見つめて、正し、振り返るという行為を僕は取っている。

しかし、ここ数年は自分を自然の中に追い込む経験が少なくなっており、弱って来た。僕には、1年に最低1回2泊3日の自分を自然の中に置き、ゴールへひたすら歩く時間が必要なようだ。

レース完走後、私の精神状態には明らかな変化が生まれました。まず、他人からバカにされたり、けなされたりしても、気になる度合いが一気に落ちたのです。肩に乗っかっていた重たい自意識が、相当部分(全部とは言いません)落ちていって、ものすごく気が楽になりました。

その少し前まで、私は、自分の人生は「なんで自分だけ」と思うことの連続だったと考えていました。でも、このウルトラマラソンを走り切った後には、「ああ、別にそんなことどうでもいい。持っているカードで勝負しよう」と気楽に考えられるようになったのです。

徹底的に打ちのめされる経験をして、心の底から自分のちっぽけさを思い知りながら、それでも目指すゴールに向かって行動を続けるとき、私たちは自分一人で出来ることは何もないことを思い知る。そのときに、人の優しさや運命のめぐり合わせに感謝することを知り、心は素直になっていく。

これが、私が長い距離を走る理由です。逃れようのない長い苦しみを意図的に作りだし、苦しみの中で自分を静かに見つめながら、心を整え、仕事や人間関係、生き方について大切なことを学び取ること。 

石川さんの「ことば」と似ている所もあるかもしれない。